【私が帽子に夢中になったわけ】
私がアダン葉帽子に出会ったのは
2014年だったと思う
その頃はわたしは4人目の可愛い女の子が
生まれたばかりで
常に彼女を抱きながら
暇つぶしをしていた 笑

家事育児でやることはいっぱいあったけど
やりたいことがない状態
やりたいことをやってはいけないとも思っていた
やりたいことが何なのかもわからない
持て余していたんだと思う

なんて可愛い!たんかーゆーえーの時の写真❤️筆を取っってる
そんな時に沖縄地方局の10分ぐらいの番組に
アダン葉帽子の復活に頑張っている女性が
取り上げられた
それが後に私に帽子を
おしえてくれた糸数先生だったんだけども
アダンで帽子ができるということが衝撃で
その帽子が美しいことも衝撃で、
そして1910年代にはアダン葉帽子産業が
とても盛んで西欧諸国に
輸出されていた歴史も衝撃で、
そして何より私は
沖縄生まれ沖縄育ちにも関わらず
その歴史を今のいままで全く
知らなかったことが衝撃でした

沖縄写真帖 より
半分憤りにも近い 笑
こんなすごいものがあるのに
どうして誰も教えてくれなかったんだ、
沖縄の誇りだろうが!と
学校で教えてもいいくらいの内容だ!って
胸が熱くなりました
知っている人が
意識して伝えていかないと
なくなってしまうんだと
ショックを受けた瞬間でした
そしてアダン葉帽子の歴史についても
感動したけれども
さらにその先生は育休中に
生後6ヶ月の赤ちゃんを連れて
伊江島のおばあさんのところに半年も通って
その技術を習得したと聞いて
私は子どもが小さいから何もできないと
諦めていて、イライラして
子どものせいにして腐っていた自分に
絶望しました
すごくカッコ悪い
何をやっているんだ
ある意味、大事な子どもたちを悪者にして
やりたいことできないって言っている
自分が恥ずかしくなりました
そして、おかしな話だけど、
「帽子を伝えること」
これが私のやることなんだと、
と勝手に確信して、
いてもたってもいられなくなって
先生に連絡を取りました、が、
「今は教えていません」と断られて チーン
それでも諦めきれず、
どこかに文献があるはずだと
「ボウシクマー」加藤和子著を
見つけ出してきました

とても丁寧に書かれた本で
本にある通りに早速、アダンを取ってきて、
材料を1ヶ月かけて拵えて
さあ、編もうと思って、作り方の写真を見ると
おばあさんの手が4つ写っている!?
一人でできないのかー! 再び チーン
そして難しくてこれは一人では
無理だと諦めた2015年でした
「私が帽子に夢中になったわけ②」に続きます